愛を捧げること 4
妻は子供たちの内にある無邪気さを見て、彼女自身の本源から働きかけるのがとてもうまいのです。
常日頃からそうしているように、この時も彼女は八歳の子供たちの無邪気さそのものに向かって話しかけたのでした。
怒鳴った男性を批判して
「いやな人ね。走りたかったら走ればいいのよ」
・・・と言ったとしても女の子たちはまた走り出したかもしれませんが、ただ歩く速度が速くなっただけで頭の中は混乱して、分裂したままだったかもしれません。
単純な子供らしい喜びに溢れて、無邪気に走るというわけにはいかなかったでしょう。
実質的にまるごとの精神、つまりわたしたちの本源から物事に向かうということは何を意味するのでしょうか?
それはだれかにとって、特に愛する人にとって大切なことが、自分にとっても大切に思えるということです。
たとえば子供を真実愛している親であれば「カミナリさまがコワイ!」という訴えを決してばかにしたり、軽んじたりしません。
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